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大丈夫か!? IoT 〜 モノが賢くならなければ意味が無い

IoTという言葉がものづくり業界ならずとも一つの重要なテーマとなりつつある。

日本語に直訳すれば「モノのインターネット」と言われるが、正直この訳がいいとは思えない。というよりむしろ、その元のInternet of thingsという言葉自体が本当に本質を捉えているだろうか。

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 ある経産省の課長さんの公演を聞いた際に、「モノのインターネット」と言ってもわからない、「モノが賢くなるとどうなるの?」と言う方がわかりやすい、という話をきいてなるほどと感じた。

 確かにモノのインターネットは抽象的すぎてほとんど意味がわからない。実際に世の中に問いかけたいことは「モノが賢くなるとどうなるの?」だ。

 

 

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 さて、IoTという言葉の問題はとりあえずこれで解決としよう。しかし、どうも「モノが賢くなってくれる」と思い込んでいる人が多いように思う。

 今、IoTといえば様々な助成金がついたり、陽の目を見やすい状態にあるため何でもかんでもIoTという印籠を出せば通るという感じはあるが、実は全くそうではないはずなのだ。

 

 例えば工業用の機械。これにIoTと銘打っているのはどういうものだろう。その多くはひとことで言うと「事細かにデータを取りますよ」というだけにすぎない。過程電力の見える化だってそうだ。あれをIoTと言うにはおこがましいんじゃないかと思う。

 なぜなら、取ったデータを処理できる人間なんてほとんどいないからだ。いや、やろうと思えばその能力がある人はたくさんいる。伊達に教育水準が高い国じゃない。

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 しかし、大量のデータの紙束を持ってきてこれでどうしましょう?なんて部下がいたらどうするだろう?たいていの上司は、いやもう少しまとめて君の意見も添えて持ってきてくれよとなるはずだ。

 

 今巷でIoTと銘打たれているものの多くがそうなってしまっている。ものを作ったり、売ったり、運んだりという作業には一定の人・モノ・金のリソースを割くのに、知的活動についてはリソースゼロで考えてしまうのがおそらくは日本人の悪癖だろう。

 

 データを見、判断するには決して少なくないリソースが必要なのだ。まず、人間には認知限界というものがある。例えば、ぱっと見で覚えられる数字は多くの人が7桁が限界のはずだ。9桁、10桁の数字を瞬時に覚えることができる人は殆どいない。

 

 となれば(あえて乱暴に言うならば)データは7個までが一度に見れる限界なのだ。1万個のデータの羅列を出されたところで認知限界を超える以上、正常な判断なんて何一つできない。

 

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 では判断する人に渡るデータを7個以下に絞った集計の形で出したとする。ならばそれで「賢いモノ」といえるだろうか。7個以下のデータなら瞬時に把握したとしても、それから判断するには過去の情報と照らしあわせて判断する必要がある。

 さて、そうなるとまた過去の7個のデータと今日の7個のデータを比較し無くてはならない。ましてや人間の判断だ。昨日の自分と今日の自分は判断基準が異なる場合だってある。

 

 さておわかりいただけただろうか。真にIoTといえるものはおそらくは機械的に学習するところまでが含められていなければならない。

 

 だが実際にそこまでをイメージしないままをIoTと銘打ち、投資し、おそらくは失敗するであろうという例が枚挙に暇がない。

 データを集めるだけでも決して安価でない投資。当然、IoTに投資する殆どの人が情報科学の専門家ではないわけなので、失敗してしかるべきだろう。だが、そこをサンクコストとしてあと一歩、完成までこぎつけて真のIoTを成し遂げた向こうに、データのちからが心に発揮できる花園が広がっていることだろう。